屈辱の経験
英語を通じて忘れることのできない屈辱的な経験があります。以前にもすこし触れました。今の外資に入っておそらく2年位経ったころのことだと思います。しかしそういう屈辱は私が今まで英語にも外資にも頑張ってこれたMotivationとなっていきます
- それはある大きな会議での場でした。わが社の日本のトップをはじめとする首脳陣対、提携会社の開発部門の常務取締役をはじめとするそうそうたるメンバーでした。
- その提携会社とは共通語は英語という契約がありましたので、通常の会議はすべて英語で行われることになっていました。ところが、わが社のトップの思いつきからその会議の進行は各部門の外人の発言はその部門の日本人スタッフ(ここでのスタッフとはmanagerでは無い日本人という意味です)が通訳をするという無謀ともいえるものになっていきます。
- わが社の3部門の一つであるうちの部署からは「おまえ」といわれ私が選ばれてしまいました。とんでもないAssignmentでした。
- 会議が始まります。私と同じ頃に入社したスタッフもそこそこ問題なくこなしていきます。さて、私の番です。上司がまず最初の1パラグラフを話します。その訳はうまくいきました。次のパラグラフです。訳したあとに一つミスを犯したことに気がつきました。それに気をとられてしまいます。これが破綻の始まりでした。
- 気がついたら上司は次のパラグラフをしゃべり終わろうとしてました。何を言っていたのか把握できていません。適当に訳しました。悪循環の始まりです。次はもっと適当に訳しました。そうして私の訳はまったく意味をなさないものになっていきました。頭の中は真っ白です。頭のてっぺんから汗がたらたらと流れ始めます。相手側の主要な参加者は皆さん英語のできる方です。私が訳せていないことは自明です。
- まったく気の動転してしまった私の最後の訳は、こともあろうか、「x!@#$%^&*。@#$%#$だったとさ。」と日本昔はなしになってしまいました。うそではありません。気が動転したあまり、「だったとさ。」が口を突いてでてしまったのです。
- その瞬間でした。相手側で会議の司会を進行していらした方が「もういいですよ」といわれました。わたしは氷のように凍りつきました。後のことは覚えていません。
- しかし、会議が終わったあとみんなよりずっと後ろを一人で歩いて帰路についたことをいまだに思い出します。